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※映画『一粒の麦 荻野吟子の生涯』Facebookへはこちら

映画製作ご協力のお願い

皆さまにお願い

 私は映画のプロデューサーであり映画監督もしています山田火砂子と申します。現在は埼玉県の三大偉人である荻野吟子の映画を製作しようとがんばっております。吟子は日本国家が認めた初めての女医で有ります。
 吟子は夫から性病を移され、男性医師に診察された屈辱から女医になろうと決心します。当時は男尊女卑の時代、医者に行くのを嫌がり病気を放置して死んでいく女性もいたと言われています。そんな過酷な時代にあっても心が強く根性と優しい心で女性のために立ち上がった吟子は、女の医者などもっての他だと国も医学界も受け付けない時代に艱難辛苦をものともせずに日本国家が認めた初めての女性医師の座を勝ち取りました。それまでにも少しは女性の医者はいたけれど国家が認めてくれませんでした。私たちのこの国は、未だに男性優位に動いているのかと、最近の医学会のニュースを聞きびっくりしました。私は長女が知的に障がいを持っているので数々の福祉映画を作ってまいりました。五〇年前から見ると少しは福祉も良くなったと思います。私も映画で百分の一くらいはお手伝いができたのではと思っています。世の中には辛いことひどいことをなさる方もいらっしゃいますが、優しい人も必ずいます。吟子先生のような人に巡り会える人が一人でも増えることを願ってこの映画を作りたいと思っています。
 映画にはたくさんのお金がかかります。どうか皆様の力で私に映画を作らせてください。お願いします。

もうすぐ八七歳の映画監督 山田火砂子

映画製作には多大な資金が必要です。皆様のご寄付・ご協力をお願いいたします。

この映画の製作協力券を販売しています。
映画の仕上げ編集の都合上、販売は6末日迄とさせていただきます。
製作協力券とは、映画製作費の一部となるチケットで、映画完成後は一枚につきお一人様分の入場券になります。
10万円以上のご寄付、または協力券を100枚以上ご購入いただいた方(個人、団体を問わず)は、ご希望により映画のエンドクレジットにお名前を掲載させていただきます。

皆様のご協力が、映画を完成に導きます。何卒ご協力よろしくお願いいたします。

【ご寄付および製作協力券代金の送金先】
ゆうちょ銀行振替口座
口座番号:00160-1-392469
口座名:荻野吟子の映画を作る会

※他行等からのお振込みの場合は下記をご指定下さい。
銀行名:ゆうちょ銀行
預金種目:当座
店名(店番): 〇一九(ゼロイチキュウ)店(019)
口座番号:0392469

※協力券をご希望の方は枚数をご記入ください。
※製作協力券は上映開始後1年間のみ有効です。有効期限は現代ぷろだくしょん、および、このサイトにてお知らせいたします。

吟子とは

「人その友の為に己の命をすつる 之より大いなる愛はなし」(ヨハネ伝第15章13節)
日本における最初の女性医師。嘉永4年、埼玉の名所の五女として生まれ、 幼いころから聡明で、勉強好きであった。
16歳で結婚するが、夫からうつされた性病(淋病) にかかり、大学東校(後の東京大学医学部)の付属病院に入院。生死をさまようほどの病状だった。 入院中、女医の必要性を痛感し、自分自身が女医となる決意をする。 離婚後故郷に戻り、本格的に学問を始める。
妻沼村 両宜塾に入門し、松本万年の教えを 受けた後、22歳で上京し、井上頼圀の私塾神習舎に入る。
その後、初めて女性の教育養成を目的とした女子高等師範学校を経て、私立医学校好寿院に学ぶ。 医術開業試験の願書を幾度となく提出するも、ことごとく却下されるが、決して諦めず、 明治18年(1885)、34歳の時、医術開業試験に合格。女性として初めて医籍に登録された。 同年、荻野医院を開業。この頃、キリスト教婦人矯風会に参加。
明治24年(1891)の岐阜県 濃尾大地震では、女子の孤児たちを保護するために立ち上がった 石井亮一(日本の知的障害児教育の創始者)に賛同し、荻野医院を子供たちのために開放、 自らも孤児たちの世話を行った。 明治23年(1890)、牧師 志方之善と結婚し、明治27年(1894)、北海道に渡り開業。 夫の死後帰京し、明治41年(1908)、東京で医院を開いた。

年表

1851年 俵瀬(たわらせ)村(現在の埼玉県熊谷市俵瀬)に、名主の荻野綾三郎、かよの五女として生まれる
1867年(17歳) 上川上村(現在の熊谷市上川上)の名主の長男・稲村貫一郎と結婚
1870年(19歳) 夫からうつされた性病(淋病)がもとで離婚。このとき治療にあたった医師がすべて男性で、女医となって同じ羞恥に苦しむ女性たちを救いたいと女医を志す
1873年(22歳) 上京し、井上塾に入門、井上頼圀(よりくに)に師事
1874年(23歳) 甲府の内藤満寿子の私塾の助教として赴く
1875年(24歳) 東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)の一期生として入学
1879年(28歳) 東京女子師範学校を首席で卒業。下谷(現在の秋葉原)の私立医学校・好寿院に入学
1882年(31歳) 好寿院を卒業。東京府に医術開業試験願を提出したが、かつての日本に女医は一人もおらず前例がないことにより、却下
1884年(33歳) 医術開業試験前期試験を女性受験者4名と受験、吟子1人が合格
1885年(34歳) 後期試験を受験し合格。5月、湯島に診療所「産婦人科荻野医院」を開業
1886年(35歳) 海老名弾正からキリスト教の洗礼を受ける。キリスト教婦人矯風会にも参加、その風俗部長になる
1890年(39歳) 13歳年下の同志社の学生で、敬虔なキリスト教徒だった志方之善(しかたゆきよし)と再婚
1891年(40歳) 志方、理想郷イマヌエル開拓のために吟子を残し単身で渡道
1894年(43歳) 吟子、之善のいるイマヌエル(今金町)へ渡る
1897年(46歳) 吟子、瀬棚で診療所を開業する
1905年(54歳) 志方、病を得て瀬棚で逝去(41歳)
1908年(57歳) 帰京、本所区小梅町に医院を開業する
1913年(62歳) 脳溢血により6月23日逝去
1984年 荻野吟子賞が設けられる(日本女医会)

荻野吟子を詳しく知るには

熊谷市立荻野吟子記念館(熊谷市公式サイト)
荻野吟子 熊谷市(熊谷デジタルミュージアム 熊谷市立江南文化財センター)(荻野吟子肖像画像提供)
日本人女医第1号荻野吟子(せたな町公式サイト)

映画について

更新情報 ・ お知らせ

2019/3/26
毎日新聞に映画製作発表記者会見が掲載されました。
2019/3/23
読売新聞に映画製作発表記者会見が掲載されました。
2019/3/23
産経新聞に映画製作発表記者会見が掲載されました。
2019/3/23
朝日新聞に映画製作発表記者会見が掲載されました。
2019/3/23
埼玉新聞に映画製作発表記者会見が掲載されました。
2019/3/22
東スポWebに映画製作発表記者会見が掲載されました。
2018/12/30
秋田さきがけ新聞に製作発表が掲載されました。
2018/12/29
埼玉新聞に製作発表が掲載されました。
2018/12/28
北陸中日夕刊に製作発表が掲載されました。
2018/12/19
産経新聞に製作発表が掲載されました。
2018/12/11
東京新聞に製作発表が掲載されました。
2018/12/7
上毛新聞に製作発表が掲載されました。
2018/12/1
毎日新聞に製作発表が掲載されました。
2018/11/29
日本経済新聞に製作発表が掲載されました。
2018/11/29
日本経済新聞に製作発表が掲載されました。
2018/11/29
埼玉新聞に製作発表が掲載されました。
2018/11/28
テレ玉にて製作発表が放送されました。
2018/11/27
朝日新聞に製作発表が掲載されました。
2018/11/20
朝日新聞に製作発表が掲載されました。
2018/11/13
後援・賛同人を更新いたしました。
2018/10/29
埼玉新聞に製作発表が掲載されました。
2018/10/20
読売新聞に製作発表が掲載されました。
2018/10/19
函館新聞に製作発表が掲載されました。
2018/10/19
毎日新聞に製作発表が掲載されました。
2018/10/18
北海道新聞に製作発表が掲載されました。
2018/10/10
後援・賛同人を更新いたしました。
2018/09/04
映画「荻野吟子の生涯~日本ではじめての女性医師」(仮題)の公式ページ公開。

なぜ、この映画を製作するのか?

 荻野吟子は、現在の埼玉県熊谷市の生まれです。幼き頃より両親が兄たちより頭が良いと感嘆した位に聡明な女の子でした。吟子の生まれた明治時代は男尊女卑の時代です。吟子は女に学問はいらぬと隣村の名主の家に嫁がされてしまいました。さらに、夫から性病をうつされ子供が産めぬ体になってしまいますが、嫁ぎ先からは神経病だと実家に帰されます。最初は泣いた吟子でしたが、こんな無情なことはないと立ち上がり、自分と同じ運命で泣いている女性のためにも医者になると決意します。
 当時の日本には女性に医者の認可をあたえる制度はなく、男子の学校に通い苦労に苦労を重ねて、吟子は日本で初めての女医になりました。吟子の後を追いかけた吉岡彌生なども東京女子医科大学を作り、女子の医学界への道なりを作りました。その先輩である吟子は、男性社会の中で道なき道を進み、女性の地位向上に生きた人です。彼女は、不屈の精神と大いなる愛「人その友の為に、己の命をすつるは、此れより大なる愛はなし」(ヨハネ15:13)、この言葉を自分の心に刻みました。自分を甘やかさず命をかけて生きる、この愛に勝るものはなし、と目の前で社会に虐げられた人々や障がいを持って生まれた人々のために、生涯を捧げました。
今、私たちはこの時代にこそ、この荻野吟子をみなさまに知っていただきたく、映画「荻野吟子の生涯」を製作いたします。






映画製作スケジュール

2019年
3月22日  記者発表
製作総指揮・監督:山田火砂子
脚本:重森孝子・山田火砂子
キャスト:
(荻野吟子)若村麻由美  (志方之善)山本耕史
(松本萩江)賀来千香子  (古市静子)渡辺梓
(井上頼圀)佐野史郎   (石井亮一)山口馬木也
(荻野綾三郎)綿引勝彦  (荻野かよ)磯村みどり



4月       クランクイン
5月       クランクアップ
初夏      完成予定

ありがとうございます。後援・賛同人が増えました!!

<<後援団体>>この映画に対して、下記の団体に後援をいただいております(2019年3月12日現在、敬称略)
日本赤十字社
公益社団法人 日本医師会
公益社団法人 日本女医会
全日本特別支援教育研究連盟
全国特別支援教育推進連盟
(全国特別支援教育推進連盟加入団体)
  全国特別支援学校長会
  全国特別支援学級設置学校長協会
  全国盲学校PTA連合会
  全国聾学校PTA連合会
  全国特別支援学校知的障害教育校PTA連合会
  全国肢体不自由特別支援学校PTA連合会
  全国病弱虚弱教育学校PTA連合会
  社会福祉法人 日本肢体不自由児協会
  一般社団法人 全国肢体不自由児者父母の会連合会
  社会福祉法人 全国重症心身障害児(者)を守る会
  全国視覚障害児(者)親の会
  全国聴覚障害者親の会連合会
  盲ろうの子とその家族の会 ふうわ
  全国LD親の会
  社団法人 日本自閉症協会
  全国病弱・障害児の教育推進連合会
  (全国病弱・障害児の教育推進連合会加入団体)
   社団法人 日本てんかん協会
   社団法人 日本筋ジストロフィー協会
   NPO 全国ことばを育む会
   一般社団法人 全国心臓病の子どもを守る会
  全国手をつなぐ育成会連合会
(以下、五十音順)
神奈川県立保健福祉大学
熊谷市
熊谷市医師会
公益財団法人 賀川事業団雲柱社 賀川豊彦記念松沢資料館
公益財団法人 日本キリスト教婦人矯風会
公益社団法人 日本助産師会
公益財団法人 日本YWCA
埼玉県
埼玉県医師会
埼玉県女医会
社会福祉法人 石井記念友愛社
社会福祉法人 滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館
鈴鹿市議会
せたな町
仙台大学
全国保険医団体連合会
中央社会保障推進協議会
東京都医師会
日本医療労働組合連合会
日本赤十字秋田看護大学
三浦綾子読者会
公益社団法人 日本産婦人科医会
一般社団法人 埼玉県薬剤師会
公益社団法人 さいたま観光国際協会
JCMA 日本キリスト者医科連盟

<<賛同人>>この映画に対して、下記の方々より賛同をいただいております(五十音順、2019年4月23日現在、敬称略)
阿部志郎 <神奈川県立保健福祉大学名誉学長>
荒井眞理 <牧師、市議会議員>
安藤広子 <日本赤十字秋田看護大学学長>
飯塚正樹 
井出孫六 <作家>
緒方文江
小川良雄 <昭和大学医学部長>
恩田興一 <特定非営利活動法人ウェルネットさいわい理事、社会福祉法人むつみ会顧問>
筧善行 <香川大学学長>
金井新二 <公益財団法人賀川事業団雲柱社 賀川豊彦記念松沢資料館理事長>
加山久夫 <明治学院大学名誉教授>
河尾豊司 <NPO法人こまくさの会 就労継続支援B型こまくさ工房 所長>
川野安子 <公益財団法人日本キリスト教婦人矯風会理事長>
久米春喜 <東京大学泌尿器科教授>
児嶋草次郎 <社会福祉法人石井記念友愛社理事長>
坂巻熙 <淑徳大学名誉教授>
澤口彰子 <東京福祉大学教授、東京女子医科大学名誉教授>
篠原信雄 <北海道大学泌尿器科教授>
鈴木一代 
高橋亮 <仙台大学教授>
田中幹夫 <弁護士>
千葉喜久也 <仙台大学教授>
津曲裕次 <筑波大学名誉教授>
冨澤康子 <医師>
中野幸二 <特定非営利活動法人ウェルネットさいわい理事長>
中村光一
滑川道人 <埼玉県立大学保健センター所長(教授)>
橋本葉子 <東京女子医科大学名誉教授>
馬場安紀子 <公益社団法人日本女医会副会長、医療法人馬場医院副医長>
広瀬玲子 <北海道情報大学教授>
福井トシ子<公益社団法人 日本看護協会会長>
前田佳子 <公益社団法人日本女医会会長>
水戸孝之 <鈴鹿市議会 地域福祉委員会副委員長>
宮崎英憲 <全国特別支援教育推進連盟 理事長>
室田保夫 <関西学院大学名誉教授 京都ノートルダム女子大学特任教授>
森下辰衛 <三浦綾子読者会代表>
山本敦子 
米川覚 <社会福祉法人滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館館長>
若倉雅登 <井上眼科病院 名誉院長、作家>